地理係
樺太の人口

産業別人口 昭和6年末
産業別
農業5854820.3
商業4944117.1
工業3413611.8
水産業3229911.2
交通業132104.6
鉱業77422.6
その他8591329.8
無職43911.5
合計287377100.0

ポーツマス条約により明治38年日本に返還された南樺太は
明治39年 人口12361人であった。
大正8年 84845人
大正10年 103630人
大正13年 152668人
昭和元年 203500人
昭和3年 240000人
昭和7年 293000人
昭和11年 332000人

・・・猛烈な勢いで増加する樺太の人口。
国家による優遇や開拓に全力をそそぐ日本人の姿が
目に浮かびます。
移住者は北海道の出身者が3割程度東北出身が2割5分
程度となっており、後は少ない。
これらは当時北海道などに比べ大変樺太の賃金は高く、
炭鉱などでの作業には約2倍の賃金が支払われていたという。

樺太は漁業人口が中心であったが、
大正3年の王子製紙の進出により工業人口が増加。
漁業を超えた。
農業は樺太庁の熱心な優遇策にもかかわらず
なかなか増加しなかったが第一次世界大戦後は
移住が増えていった。

昭和8年当時、働き盛りの年齢の男性が多数移住していたため、
女性100に対する男性の割合は128.8と 北海道以南の平均101を大きく超え、男女の均衡は 大きく崩れていた。
これらは北部に行くほど顕著で 敷香では比率は164.6、散江に至っては248.0 となっていた。

樺太の人口密度は昭和8年現在 8.04/Km2。 人口は海岸部に集中し、内陸は希薄。都市部に63.5%が集中。

終戦時 昭和20年 410000人。・・・・・

そして・・・・
戦後。ソ連が侵攻していたらこれらの人は
どうなったであろうか。
 
平和が戻った樺太には外地、満州帝国からの引揚者で人口はさらに 急増した。
 満州引揚者にとって樺太は新しい開拓地であった。大陸の夢を樺太の大地で果たすべく 猛烈な開拓が行われた。
 昭和25年 樺太の人口は80万人を突破。 その後高度成長期には一時人口が東京へ 流出したが平成3年豊原市は人口80万人に達し、最北の政令指定都市となるのである。

平成18年現在南樺太の人口160万人。残念ながら新樺太市では豊原への人口流出が 続いている。
 敷香五輪での人口回復に期待されている。

人口のデータ(統計課)←終戦までの人口参考データ
新樺太市議会議事録 第3回南樺太の人口←戦後の人口参考データ