樺太県史  第6章  1890~1910

朕の世に失われた領土

樺太の放棄。
明治政府は北方に関して、幕府ほどの重要性は認識していなかった。
樺太を明け渡せばそれで平和が維持されると・・・・。


ロシアの野心はこれにとどまらなかった。

北満州、沿海州、そして樺太とその手中に収めたロシアは
その勢力をさらに南下させるべく、
明治24年(1891年)シベリア鉄道の建設に着手するのである。

鉄道、それは19世紀の文明の利器。
同時に強力な軍事輸送機関であった。
シベリア鉄道全通はそのまま極東におけるロシア勢力の拡大に寄与するのである。
明治31年(1898年)、
ロシアは清より遼東半島を租借、
太平洋における不凍港、旅順港を確保、これにて太平洋 および日本近海をロシア海軍は自由に動き回れる体制がとれるのである。

明治33年(1900年)、ロシアは北清事変(義和団事件) をきっかけとして満州地域全域を実効占領した。
これにて満州の併合の素地が整ったのである。
何度もいう。
「ロシアは歴史的にまず軍を駐留、そして侵略するのだ。 」


         ☆×○
 


事件制圧が名目であったがやはりロシアは占領をやめようとはせず
これに対して強い懸念をもったイギリスは清における権益を守るため 日本と明治35年(1902年)、日英同盟を結び、その牽制とした。


しかし撤兵するどころか明治36年(1903年)5月、ロシアは ついに朝鮮半島へと軍を進めていったのである。


朝鮮半島へとその権益を広げはじめていたロシアに 日本政府は朝鮮半島への進出をやめるよう交渉を重ねたが、 ロシアの朝鮮半島への進出意欲は高く、 明治37年(1904年)、交渉は決裂。 

このままでは満州同様に、朝鮮半島はロシアに実行占領されてしまう。

 対露開戦はもはや時間の問題となったのである。
 当時シベリア鉄道は開通まであと1-2年と見積もられた。
日露の国力の差は圧倒的であり、陸軍のパワーバランスは1対10。
兵站の輸送路が確保されれば日本側に勝算はまずない。

明治37年(1904年)2月6日、外務大臣 小村寿太郎は国交断絶を 通告、日露は戦争状態へ入った・・・・。

        ☆×○


続く・・・・

続きはいつのことやら(^^;