サンフランシスコ会議 吉田全権演説 抜粋


1951年9月7日 サンフランシスコ

 過去数日にわたってこの会議の席上若干の代表団は、この条約に対して
批判と苦情を表明されましたが、われわれ日本人も、若干の点について、
苦悩と憂慮を感ずることを否定できないのであります。
 
中略

 千島列島及び南樺太の地域は、日本が侵略によって奪取したものだとの
ソ連全権の主張は、抗議いたします。
 
 日本開国の当時、千島南部の二島、択捉・国後両島が日本領であること
については、帝政ロシアもなんら異議を挿まなかったのであります。
 ただ、得撫島以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の
地でありました。
 1875年5月7日、日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて、
樺太南部はロシア領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすること
に話合いをつけたのであります。
 名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥協を計った
のであります。
 その後樺太南部は、1905年9月5日ルーズベルト アメリカ大統領
の仲介によって結ばれたポーツマス平和条約で日本領になったのであります。

 千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的
にソ連に収容されたのであります。
 また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦
当時会々日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。

・・・後略