フルシチョフ書簡 池田首相あて(抜粋)


1961年12月8日

 あなたのお手紙に、あたかも領土問題が周知の国際諸協定にかかわらず、
今なお、未解決のままであり、この問題についてソ連からの態度変更、
一定領土に対するその正当な権利の放棄を取り付けるなんらかの根拠が
あるかのように見せかける試みが新たに行なわれています。
 池田総理、このような意図は、日本政府が無条件降伏の結果として周知
の国際諸協定によって自己の負った義務の履行を回避しようとする意図を
立証するに過ぎないものであることを述べなければなりません。
 実質、報復であるこのような日本政府の態度は、日本とその諸隣国との
関係の尖鋭化、極東における情勢の紛糾をもたらすものであると見るのは
困難ではありません。

日本政府の領土要求を根拠付けるためになされている牽強附会な論拠を完全に
覆す数々の歴史的事実および文書を改めて現在取り上げる必要はありません。
 しかし、私はこれらの事実をおよび文書の若干について想起してみたいと
思います。
 日本の降伏条件の基礎となった連合国のポツダム宣言は、日本の主権を
本州、北海道、九州、および四国の諸島ならびに若干の小島に極限しています。

 日本政府は、降伏文書に調印して、同政府およびその後継者が誠実にポツダム
宣言の諸条件を履行するであろうという誓約をしました。
 千島諸島が日本の主権下に残された領土の中から除外されている限り、
日本政府の側から千島諸島に対する現在の要求は、上述の誓約に反するもので
あります。

 日本政府が千島諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄しながら、
今この諸島に対する要求をあえてするという事実は、疑惑を生ぜしめざるをえ
ません。

千島諸島に対する日本の権利放棄を規定した条約には、この諸島がいかなる国に
帰属するべきか記載されていないので、問題は未解決であるかのようなに主張さ
れています。
 日本が千島をいかなる場合にも要求しうるものではないことが周知のとおりで
あるのに、日本政府はソ連の極東沿岸への道を遮る千島諸島が、あるいはスペイ
ンだとか、ポルトガルにでも帰属することを望んでいるのでしょうか。
 それとも日本政府は、すでに日本の島々をはりめぐらせているソ連を目標とし
た軍事基地に加え、千島をも新たな軍事基地とすることを反対するものでない海
のかなたのその同盟国のために奔走しているのでしょうか?
 
 しかし、ソ連は自分の権利を譲渡するわけにはいけません。
三大国のヤルタ協定は、南樺太および千島諸島の帰属問題を明確に決定していま
す。これらの領土は、無条件かつ無留保でソ連に引き渡されたのであります。

 あなたは日本政府がヤルタ協定の加盟国でないこと、したがって同協定は日本に
関係ないかのようなことを引き合いに出されています。
 ヤルタ協定は日本と戦った諸国家間に締結されたものである以上、日本が同協定
に加盟せず、また加盟することができなかったことは、もちろん当然のことであり
ます。
 しかし日本は降伏して、連合国の決定した条件を受諾しました。
 そして連合国は、この点については既存の連合国間の諸協定を出発点となしてい
るのであり、その中にはあらゆる国際協定と同じく、拘束力を有するヤルタで署名
された協定も含まれているのであります。
 アメリカ政府の若干の声明を引用する事によって日本側の主張を裏付けようとす
る貴方の手紙の試みは全くなりたちません。

アメリカ政府もかつてヤルタ協定は自国を拘束するものと無条件で認め、この協定に
従って行動してきたことを指摘せねばなりません。
 例えば1951年3月29日付の、および5月19日付けのソ連政府宛アメリカの
覚書に明らかなことは南樺太および全千島諸島のソ連邦帰属問題については、アメリ
カとソ連との間にはなんらの不一致もなかったことであります。
 ヤルタ協定中にも、一般命令書第1号中にも、サンフランシスコ条約中にも千島列
島の区分はなんらなされておりませんし、全体としての千島諸島が問題となっていた
のであります。このことは、特にソ連とアメリカとの政府首脳間に取り交わされた往
復書簡によっても確認されています。
 したがって当該国際協定があたかもソ連に全千島諸島ではなく、単に若干の島のみ
を譲渡するものとしているかの様に主張する日本側の試みは、全く根拠の無いもので
あります。
 国後、択捉島が千島諸島に含まれていないという主張は、これまた成り立ちません。
例えば1937年に日本海軍省水路局が出版した公的な日本旅行案内書あるいはその
他の多くの日本出版物をご覧になれば、いかに自分が滑稽な立場に陥れるかを確信さ
れるでありましょう。
 また、国後、択捉島が千島列島に帰属していることは、戦後においても日本政府に
よって認められていることも周知の通りです。
 あなたはその書簡で1855年および1875年の日露条約を引用されていますが、
これらの条約が本件とがなんら関係がないことは明らかであります。
 もしあなたの例にしたがって歴史を反転させるならば、1904年に日本がロシア
に背信的に攻撃しねロシアからサハリンの半分を奪取し、かつロシアにポーツマス平
和条約の過酷な略奪的条件を押し付けたことを想起させる必要がありましょう。
これらの行動によって、日本は1855年および1875年のロシアとの条約を破り
これによりこれらの条約を引き合いに出す権利を自ら失ったのであります。
 また1920年代の初め日本は1905年の条約を破り、再びロシアに突入し、北
樺太およびソビエト領極東を占領しこれを掠奪しました。
 日本側によるソ連との平和条約締結の引き伸ばしは、当然日本政府の企図について
ソ連人に警戒的な気持ちをおこさせないわけにはいきません。
 もし国家が国家間の平和と友好を希求するならば平和条約を調印しない理由はあり
えないのであります。
 私は貴総理に対し、ソ連政府としては両国民のために、世界平和の強化のために、
ソ連と日本との関係を改善すべく今後ともあらゆる努力を傾けることを確信できます。


補足 1961年12月13日
アメリカ国務省スポークスマン リンカーン=ホワイト発言

われわれは書簡のやり取りの中にある日本の立場は、確固たる事実に基づくものであり、
法的にも正しいと信ずる。






結局なんだかんだいってもロシアはヤルタ協定しか支えが無い。
しかし日本側の北方四島はクリル諸島に含まないというのは上の書簡にあるとおり滑稽だ。
 さっさと日本はヤルタ体制をアメリカとともに、そしてその他の領土問題をかかえている
国と協調し、これを否定し、南樺太および千島の返還を主張しなさい。(>.<)/