第20号  平成20年1月3日発行
市長、古代遺跡に日本の歴史の深さを思う!




豊原駅

はっ(゜゜)
豊原だ!寝過ごしたか?
いえいえもちろん樺太が誇る極北の美都ではないことは
寝ぼけててもわかります。(^^;
豊原から寝台特急「北極星」で一路南下したのですから・・・・

みなさん、あけましておめでとうございます。
ついに平成も20年を迎えました。(^^



国府多賀城駅


市長は一路古代樺太の遺跡を求めて、宮城県までやってまいりました。
ここには、古代史では有名な多賀城の遺跡があるとのこと。

さて、どこにあるのだろう。(^^≡^^)



駅前にて

おや、真新しい看板がありますよ。(^^



看板その2

えっ。そっちですか(^^;
どこへ連れて行かれるのでしょうか。



看板その3

えっ、これが多賀城か!
ただの民家では(>.<)
写真自粛(^^;;
たくさん看板あるけど、方向がへんだよ~。
矢印は手前の道についていて、
その道は民家の中へと続く道、

正解はチェーンの張られた奥の道です。(^^A



看板だらけ

看板はたくさんありまして、初心者にも親切ですが
なんか分譲住宅の展示会場へ続いてそうな雰囲気です(^^;;;



多賀城の碑

紆余曲折しながらもようやく、到達。
この中に多賀城碑があるのです。



多賀城の碑

この碑文の守る建物は、その碑の重要性から
江戸時代に水戸黄門でおなじみの光圀侯によって
建てられたといわれています。
黄門様は偉大ですね~
実は肉眼では識別が困難になりつつあり、
もっと風雪に耐える新型の建物が必要かもしれませんよ。



碑文拡大

文字の薄れ具合が、その歴史を感じさせます。
写真はコントラストをおもいっきり上げていますよ。

「去靺鞨国界三千里」の文字がかろうじて読み取れます。
靺鞨国との国境まで3000里、約1600キロメートル
であることを示しています。



碑文の説明

靺鞨国がどこであるかは諸説あるようなのですが、
重要なのは碑文がその国との距離ではなく、
国境との距離を示しているという点です。
1600キロメートル北方・・・・・、
北樺太付近であると市長は勝手に思っています。

当時、北樺太との距離が正確に計れるとは思えませんので
実態としてはやはり黒竜江口の対岸ではないかと予想します。



多賀城跡


多賀城は724年に建立されました。
古代日本でも、北方は重要な地であったのでしょう。
松尾芭蕉も訪れ、感動したといわれるこの碑を訪れることができて、
もう一つの日本に少しだけ近づけたような気がします。

みなさんも古代日本史にふれてみましょう。
樺太を思いながら・・・