第4号  平成17年2月8日発行
市長、日露戦争に偏見を語る



ポーツマス特電!!




これは今から100年前明治38年7月10日に
市中で配られた号外・・・
幕末からのロシアによる焼き討ちなどの圧力により、放棄するに至った樺太
「ああ樺太は放棄されたし」

再び日本、そしてアイヌの失地を取り戻すべく、大泊(紙面ではコルサコフ)
に上陸した日本陸軍


どのような心中で手にされたのでしょうか
もちろん現在の常識では、領土回復に武力行使は問題が多いでしょう。
が、当時は強い軍隊を持ち、勝利を得なければ
国として一人前の扱いは受けられませんでした。

日英同盟によりイギリスのそしてアメリカの支援をうけていた
とはいえ、白人文明に有色人種が対抗できることを示し、
決して劣等人種、ましてや黄色い猿ではないことを世界に
とくにアジアに向けて希望を残せた戦いでありました。

そして、ポーツマスによる戦後処理・・・ 当時は戦勝をあらわす賠償金、これはまったく得られませんでした。


日露戦争、日本では勝利と教えられますが
日比谷焼き討ち事件に見られるように
実は引き分けだったとみるのが市長の解釈です。

当時のロシアにとってたいした価値のない、そしてもともと日本人の土地である
樺太を手放すのは外交カードとしてはきりやすいものだったのでしょう。
このときロシアは賠償金を請求しなければ、南北全島を渡すと
 世界に向けた交渉術を見せました。
賠償金=勝利 そして多額の戦費に困った日本はこれを断り
賠償金をあくまで要求。
「日本は金目当てにロシアと戦った」
・・・ロシアの策にはまる日本。
 
 情報の戦いはその後の戦後でも日本は弱点のようですね。

今日の外交を見ながらこれまでの日本の歴史と照らし合わせてみませんか
      樺太を思いながら・・・・