第8号  平成17年3月20日発行
市長、舞鶴の海に泣く


引き揚げの町 舞鶴


みなさん一か月ぶりのご無沙汰です。
新樺太市長です。




舞鶴



年輩のかたならよくご存知だと思いますが、
歌謡曲「岸壁の母」で有名な町です。
京都府の北部にあり、少し訪ねにくい位置にあります。



写真は舞鶴の海。近畿の百景で一番すばらしいとか。

この並列世界では

日本は昭和20年、連合国(国連)に降伏し、再び白人の
支配する世の中に逆戻りしました。
 戦前の植民地的支配こそ、日本の活躍によりなくなり
ましたが、現在も経済的、政治的支配が続いていますね。

 さて、樺太、満州帝国、南洋、朝鮮半島、ソ連、台湾、沖縄など
からの引き揚げで門司、神戸、舞鶴などの10港に
次々と引き揚げ船がやってきました。
 海外の日本人約6000000人。




引き揚げ桟橋


ちょっと遠くからの撮影です。

 岸壁には引き揚げを待つ家族の姿であふれかえり、
息子や夫の名前を記した物を手に、大きな声でまだ還らぬ人
の名を呼びつづける多数の方々。
 遺骨だけの無言の帰国。
 誰とも無く、いつしか「岸壁の妻、岸壁の母」とよばれる
様になりました。

 
 そんな引き揚げも次第に峠を越え、いつしか帰還港は舞鶴
だけとなりました。
 岸壁の母で有名な 端野いせさん はここ舞鶴に引越し、
息子の帰りを待ちつづけ、ついに最後の引き揚げ船が舞鶴に
到着しても、息子の姿はなかったとのことです。
 

舞鶴引揚記念館


 ここ舞鶴には 引き揚げ桟橋と引き揚げ記念館があり、
今も生々しいシベリア抑留と引き揚げの姿が展示されています。


 満州・樺太などでソ連に抑留された日本人は、約470000人。
極寒のシベリア・・・気温零下30-40度で捕虜収容所に入れられ、
発電所や鉄道など建設に従事させられ、多数が帰らぬ人となりました。
 帰った方のなかでも腕や足を失い、障害者となられた方
も少なくありません。
 くわしくはぜひ舞鶴に訪れ、
その実態の一部に触れていただきたいと思います。
 記念館ではあふれる涙が抑えられない市長でした。

もしわれわれの世界で樺太がソ連に侵攻されていたらと思うと恐ろしさで
身震いがします。
 


引揚記念公園


記念公園には桜がたくさん。
きっと春には花吹雪がおこるのでしょう。(っ.T)

残念なことにこの記念館周辺は常に何かゴムを燃やしたかの
ような悪臭がただよい、市長は息が苦しかったのです。
後日新聞報道で、これはその日だけでなく、何年も続いて
いることだと分かりました。

 


プリーズ号



 ここ舞鶴では土日に舞鶴周遊観光バスプリーズ号が運行され、
100円という低価格でバスに乗ることができ、西舞鶴または東舞鶴駅
から運行しています。

 舞鶴は軍港としても有名で、現在も自衛艦がならび、国のまもりを
感じることができます。


 また、土日は見学もできるようですよ。
申し込むと見学証を手渡されます。

近くで見るととても威圧感があり、たのもしいですね。
甲板まで上げてくれます。





これ、北朝鮮の船・・ あんた自転車積みすぎですから!!(--;

 
みなさんも「岸壁の母」を聴いたら引揚者とその家族の涙を
感じてください。
 樺太を思いながら・・・・