第9号  平成17年4月24日発行
失われた航路へ・・


当市も早いもので市制施行3ヶ月となりました。
まだまだ小さい都市ですが
皆様にささえられて、どうにかこうにか(^^;
ここまできました。
ありがとうございます。

さて、稚泊連絡航路をここに来られた方は
良くご存知かと思います。
ご存知ない方のために申し上げますと

かつて島どうしを橋やトンネルがなかった
時代、鉄道と鉄道の連絡のために鉄道連絡船
というものが就航しておりました。


写真は青函連絡船、摩周丸です。
函館に保存されています。

連絡船はかつて・・・
ここ樺太と北海道の間も結んでおりました。

北海道、稚内の稚
樺太、大泊の泊

稚泊連絡船です。



鉄道省編纂 時間表 昭和15年10月号より


昭和15年現在
稚内 午前8時50分発
大泊 午後4時50分着

大泊 午前12時00分発
稚内 午後8時00分着


亜庭丸3391トン
宗谷丸3593トン
定員は
1等18人
2等102人
3等615人
運賃2円50銭

8時間の船旅。


南稚内駅

当初は稚内(現 南稚内)から 徒歩連絡で桟橋まで歩いたようですが

最終的にこのドーム手前まで線路はのばされ
極北の大地へ旅発つようになりました。

それでは昭和15年東京は上野から極北の大地へ
旅立ってみましょう。

航路の関係でおそらくこれが唯一の連絡だと思われますが・・
一日目     上野駅19:00   発
             ↓
       201列車 2.3等寝台付急行
             ↓
二日目     青森駅07:45   着
        青森港08:20   発
             ↓
        青函連絡船
             ↓
        函館 12:50  着
            函館 13:25  発
             ↓
      1列車  2.3等寝台付急行
             ↓
三日目 稚内桟橋  06:42  着
        稚内桟橋  08:50  発
             ↓
            稚泊連絡船
             ↓
          大泊港 16:50  着
          大泊港 18:00  発
             ↓
              1列車
             ↓
          豊原  19:05  着


大泊港駅



岸から500メートル延ばされた駅。


やっとついたあ(x.x)
並列世界では
樺太はロシア(旧ソ連)に軍事占領され
戦後60年を経てもいまだ居座っているとききます。



この碑は稚泊航路の記念碑です。
吹雪がきびしくよくわからない(--)
かつてはSLが静態保存されていたようですが
痛みが激しく撤去され、車輪のみになってしまいました。


稚内桟橋駅の施設は、戦後、
国鉄から稚内市へ譲渡されました。
かつては稚泊航路復活の際は国鉄への港湾施設返還
について契約が交わされていたと聞きます。
がその後港湾設備も国土交通省へ移管され、
その契約は消滅しているとのことで
極めて残念なことです。
稚内市のホームページに「サハリン」という名で樺太情報が結構網羅されて
いますので、なかなか見ごたえがありますよ。(^^

なお、われわれの世界でも稚泊鉄道航路は既に無い。
昭和63年、JR宗谷海峡線 新稚内-雨龍濱が
開通したからである。

さて元の世界にかえって
特別急行 スーパー宗谷で樺太に帰るとするか
((((((( ^^)


みなさんも稚内にお越しの際は
稚泊航路記念碑へお越しください。
樺太を思いながら・・・