地理係
名前の由来

樺太がどうして樺太と言われているかについては諸説があり、 これという決めてがないようです。

以下で代表的な説を紹介します。


空虚太
幕末の国学者 前田夏蔭(まえだ なつかげ)は 「蝦夷東西考証中」において、

 カラは空虚、太は空大洲。
古への日本人がはじめてこの洲に渡って地形を探ね、 荒山広野大なるところから空虚太(カラフト)と名づけた のであろう。  この名は決して蝦夷人の言葉ではなく、我が内地人 渡航者によって冠せられたものである。

と記している。


カラホトン
明治時代の小川運平は
「カラフトは蒙古語のカラホトンの訛りで、カラには 遠いとの意味あり、ホトンは城の義であるから遠くに ある城の意義がある」
 とのべている。


カラフト(エビ)
幕末の勤皇家であり探検家の松浦武四郎は、 「蝦夷年代記」において、
カラフトとはオロッコ種族の蝦(えび)の義である。 白主とシレトコとを蝦の両ひげとすれば、シンノシレ トコ(北知床半島)を尾とし、腰の曲がったところは いかにも蝦である。
と記している。


カラフト(ニシン)
国文学の権威 大槻文彦は、 「北海道風土記」において、 鯡(にしん)の方言をカラといい、フトには多いの 義がある。

と記している。


唐人
「北夷考証」の高橋景保は、先住民と宗谷地方で 和人が交易していた際、彼ら先住民を唐人と呼び、 やがてはその島そのものを唐人と呼ぶに至ったのだと いう。
なお、一説によるとカラヒトのヒが東北の訛りによって ヒがフに変わり、からふととなったのであるという。

カラブト
岡本監輔に随行していた西村利光によると、 カラフトは古いアイヌ語で「カモイ・カラ・ブト」 神の作った海峡の意味であり、本来は宗谷海峡の 意味であった。やがて島の名を示すようになり、 カモイを略するようになったのだという。



ところで、どうして樺太と書くようになったのだろう。

初代 樺太庁長官 岡本監輔は、
彼は明治2年、蝦夷地が北海道と改称されたとき、 北蝦夷をカラフトと改称するにあたり、その漢字を どう充てるかに対し、松浦判官の樺太と当てるのが 至当とする提案に異議を唱えている。

それは、樺太とすれば後世の日本人がカバフトと 読んでしまい、カラの名を失うため、柯太と称する べきである。アイヌの伝説では樺太と北海道は元来 ひとつの島であったものを神が割き隔て2つの島に したということから、柯太とするべきと譲らなかっ た。
 彼は樺太公儀所でも公文書に柯太と書いて押し通 したが、退官後は樺太の字が充てられた。





まあ、とにかくあの日本最北の島は、樺太と
呼んでください。(^^
カ・ラ・フ・トですよ。